大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和39年(う)126号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人猪俣浩三、同藤本時義及び同川上義隆連名提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。

控訴趣意第一点の一について。

論旨は、被告人の行つた自動車損害賠償法に基づく自動車損害賠償責任保険金(以下保険金と略称する)の請求手続は一定書式の請求書その他の必要書類の提出行為と保険金の受領行為との法律的判断を要しない機械的作業であつて、弁護士法第七十二条にいわゆる「法律事務」には当らないというに帰する。

弁護士法第七十二条は、その本文において「弁護士でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない」と規定している。右規定にいわゆる「その他一般の法律事件」とは、同条判示の事件以外の、権利義務に関し争があり若しくは権利義務に関し疑義があり又は新たな権利義務関係を発生する案件を指し、右規定にいわゆる「その他の法律事務」とは、同条例示の事務以外の、法律上の効果を発生変更する事項の処理を指すものと解すべきである。ちなみに、弁護士法第七十二条は、「法律事務取扱ノ取締ニ関スル法律」第一条を修正して継受したものであるが、かつて大審院は同条にいわゆる訴訟事件の意義について合目的解釈を施し、「将来訴訟トシテ繋属スベキ虞ノアル事件ヲモ指称スル」と判示し(刑集十八巻十一号三百五十九頁)、あるいは「其ノ性質上裁判所ニ訴訟トシテ繋属シ得ベキ事件ヲ包含スル」と判示した(刑集十九巻六号百九十三頁)。しかし、弁護士法第七十二条は、「その他一般の法律事件」という包括的な類型を新設し、いつさいの法律事件を取締の対象として採り入れる措置を執つたので、同条にいわゆる「訴訟事件」の意義につき、訴訟として係属中のものにかぎるかいなかを論議する実益はなくなつたものといいうるであろう。

ところで、原判決の判示するところによると、被告人は、その設立した自動車事故共済会の事業の一環として、自動車の交通事故により損害を受けた十五名の被害者側(被害者本人若しくはその近親者)から損害賠償請求に関するいつさいの件を委任され、その委任に基づいて保険会社に対する保険金の請求、その受領、加害者側(加害者本人若しくはその雇主又は以上の者の代理人)との示談交渉、示談契約、示談金の受領等の諸行為の全部又は一部を行つたのである。本件損害賠償請求事件が弁護士法第七十二条にいわゆる「訴訟事件」に当らないとしても、同条にいわゆる「その他一般の法律事件」に当ることについては疑問の余地がない。加害者側との示談は、すなわち民法上の和解であつて、同条判示の法律事務たる「和解」に当ることが明らかである。次に、交通事故に基づく損害賠償に関する示談においては、通常示談金額は被害者に支払われた若しくは支払われるべき保険金額を勘案して決定されるのであるから、保険金の請求権の存在及びその金額の算定はいわば示談の前提条件で、これと切り離して考えることのできない関係にあり、現に被告人も保険金の請求及び受領と同時若しくは前後して示談交渉を進めているのであり、したがつて、以上保険金の請求、受領及び示談に関する事務はこれを包括して観察し、全体として法律事務に当るものと解するのが相当である。なお、原判決の引用証拠により保険金が支払われるまでの手続を概観すると、まず請求者は自動車損害賠償責任保険損害賠償額支払請求書と事故の原因状況を明らかにする事故発生状況報告書とを作成し、これに所轄警察署長の自動車事故証明書、医師の診断書、医療費その他の諸掛りの証明書類等を添付してこれを保険会社に提出し、保険会社はこれを自動車損害賠償責任保険共同査定事務所に回付し、同事務所は右回付書類等を資料として事故の種別(死亡、重傷、軽傷)、被害者の故意過失の有無、過失相殺の要否等を勘案したうえ(記録百六丁の査定調書参照)、所定の支払最高額の範囲内で損害額を査定し、保険会社は請求者から「査定額を承諾し、査定額どおりの損害の填補を受ければ、その後いかなる事情が生じても異議の申立、訴訟等による請求をいつさいしない」旨の査定額承諾書を徴したうえ(記録七十一丁の査定額承諾書参照)請求者に対し右査定額相当の現金を支払うこととなるのである。以上のことは、証人小篠吾朗の当審公廷における供述によれば、いつそう明らかである。叙上のとおり、請求者の作成提出する保険金の請求に関する書類は、請求権の存在及び範囲の決定の資料となるべきものであるから、たとえば請求者が事故発生状況報告書に事故の原因状況を記載するには、事故という社会的事実をある程度請求権の発生原因たる法律要件として把握することが必要であり、又、前記査定事務所の査定額を承諾するか、あるいは承諾しないで訴訟等の手段に訴えるかの裁量も請求者に委ねられているのであつて、(小篠証人の証言によれば請求者が査定額を承諾せず、訴訟によつて争つた事例がある)以上のことを処理するためには事柄の性質上相当の法律的知識を必要とするのである。すなわち、保険金の請求及び受領の手続は、請求権の存在及び範囲の確定に関与しこれを実現する行為であつて確定債権の単純な取立行為、集金類似の行為等の論旨にいわゆる機械的作業と同日に論ぜられるべき性質のものではない。されば、保険金の請求及び受領行為は、これを示談と切り離しそれ自体として観察しても弁護士法第七十二条にいわゆる「その他の法律事務」に当るものと解するのが相当である。論旨は理由がない。(その余の判決理由は省略する)(裁判長判事坂間孝司 判事栗田正 有路不二男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例